11月9日に金沢市民芸術村、パフォーミングスクエアで開催された『第52回鏡花文学賞授賞式』で、カペラは記念演奏として「金木犀の匂う道」と「浅野川恋歌」、2曲の合唱を披露しました。
私は8年ほど前から賛助団員として数回歌わせていただいており、今回も誘いを受けて数回の練習を経て演奏に臨みました。高校時代の思い出と重ね合わせながら、今の想いを述べてみたいと思います。
…………
高校時代、私は山瀬先生の指導なさる合唱部で歌っていた。1年時には全日本合唱コンクールの自由曲としてマルタンの二重唱ミサ曲に挑戦し、8声に分かれるためにパートの人数が半減する中、毎日冷や汗を流しながらラテン語の歌詞と複雑な転拍子に取り組んでいた。ある日の全体練習の時、全声揃ってのシンコペーションの箇所でやってしまった。私だけ半拍早く飛び出したのである。同じパートのメンバーが「あ~、やってくれたな」という目で私を見つめ、他のパートからも冷たい視線を浴びる中、「絶対叱られる、最悪のミスを犯してしまった」と私は生きた心地がしなかったのだが… バシバシッと譜面台を叩いて曲を止めた先生は、なんと「いや、今の新谷みたいにはっきり間違えてくれた方がいい。きちんと指導できるから。中途半端にごまかすよりよほど正直でいい」と言ってくださったのである。後で「あんなに明らかなシンコペーションを間違えて褒められるなんてありえない」と先輩たちに言われたこととあわせて、あの時のことは今でも忘れられない。(先生は絶対に忘れておられると思うが。)
後に教職に就くこととなったが、今でも生徒に「間違えるならはっきり間違えた方がいい。ごまかして過ごすのは絶対よくない」と言うことがある。もちろん、高校時代のあの時の記憶がそう言わせるのである。
今回の練習の際に、あの時の思い出をよみがえらせる場面が何度かあった。すべて暗譜したつもりでいて、間奏の小節数を間違えてたびたび飛び込んだのであるが、間違えた本人(私)が一番辛く感じていることをよくご存知の先生は何も咎めはなさらなかった。
また、練習の中で先生がふと「この曲は今まで何度も演奏しているが、楽譜にいろいろな仕掛けがあって、毎回新たに気づくことがあるんだよ」とおっしゃったことにもショックを受けた。故事成語で言えば「温故知新」だろうか。数回だけ歌ってわかったつもりになっていた自分を恥じた。
いろいろ考えることはあったが、記念式典の演奏の場では先生の指揮に集中でき、自分としては誘われた責任を果たせたと自負している。また歌詞や楽譜に込められた思いや表現の奥深さにも改めて触れることができた。
数十年の時を経て、同じ先生のタクトで歌えるのは、考えてみればすごいご縁である。今後も機会があれば…と思っている。
(新谷 喜之)


Comments