《寄稿》私にとっての『わたしの願い』
- kanazawacapella
- 5月5日
- 読了時間: 3分
湘南市民コールの都田と申します。今回の「新しい風コンサート」では一緒にステージで歌わせていただきます。よろしくお願いいたします。
今回演奏する曲のうち、「わたしの願い」は、実は私が高校2年のとき、金沢二水高校合唱部で、朝日のコンクールの自由曲として演奏した曲でした。昭和57年(1982年)のことです。
その年のコンクール曲をどうするか、顧問の山瀬先生は相当悩んでおられました。前の年度が中部大会止まりで終わってしまったため、何としても再び全国大会出場を果たしたい、という背景もありました。春頃に、曲は「わたしの願い」に決まったものの、さて1曲目にするか2曲目にするか。とにかく、2曲とも練習することになり、どちらの曲もかなりしっかり、じっくりと練習したのを覚えています。
先生からの指示は、「歌詞の意味をしっかりと考え、理解し、それが客席に伝わるような演奏をするように」ということでしたが、言葉は平易でも、歌詞で言いたいことを感じ取り、理解することは、困難を極めました。なぜ「何も見てない目」「何も聞いていない耳」がほしいのか、どうして、ベッドの脚に「きれいな水が流れている」と言うのが「美しい」のか、なんて、当時の高校生には・・・否、還暦を過ぎた今の私にも、正直よくわかりませんよ。
当時100人を超えていた二水の合唱部員一人一人が、それを考え、悩み、時に議論を繰り返していました。本当の意味でのアナリーゼ(楽曲分析)を、かなりしっかりとやっていた、と、今にしてみれば思います。
そして忘れられないのが、何と、作曲した高田三郎先生から直接指導いただく機会を得たことです。山瀬先生が電話で高田先生に何度も「直接アタック」して、当時滅多にその種の依頼に応じない、と言われていた高田先生を金沢にお招きすることができたものですが、かなり厳しい指導で知られていた高田先生を前にして部員一同ハラハラ、ドキドキ、ビクビクしていたことを覚えています。結局、私たちの熱意が通じてか、特に「おっかない」ということはなく、むしろ全身全霊をもって、熱意あふれる指揮をしながら、私達に歌詞の持つ意味や曲の構成などを、余すことなく伝えようとされていたのを覚えています。「いい演奏ができれば金賞なんてとらなくていいんですよ・・・でも、とろうよ!」とおっしゃっていたのが印象的でした(後輩たちの話によると、その数年後の二水合唱部定期演奏会の際の高田三郎先生の指導は、かなり「おっかない」ものだったそうですが)。
結局、2曲目の「雲雀にかわれ」でコンクールに臨むことになりました。中部大会の会場は、何と地元、金沢の観光会館(現在の金沢歌劇座)。とにかく負けられない大会で、結果は高校の部1位で金賞! その後の全国大会(広島の、何と「体育館」が会場でした!)では銅賞、と、まずまずの結果で終えることができました。とにかく、全国大会への返り咲きを、地元金沢で果たせたことが何より嬉しかった! そしてホッとしました。
この思い出深い曲を、今回皆さんとともに、金沢の地で、山瀬先生の指揮で再び歌えることには、非常に感慨深いものがあります。

現在の県立金沢二水高等学校



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