雲の上のような著名人と、どうしてお話しできるような仲になったか。
それは私達にとって、合唱を見つめ直す大きな転換期になりました。
私たちとの出会いは講談社文庫から発刊されている「五木寛之の金沢さんぽ」の中で紹介されています。
“金沢への旅録”(100頁)というタイトルで次のような一文があります。
「・・・小川さんのスピーチも、とても深い話で良かったし、授賞式に花をそえた地元の泉丘高校合唱部のコーラスも聴きものだった。
そこで二曲披露したうちの一曲が、三好達治の作詞した合唱曲で、私ははじめて聞く曲だった。そのあとの文化交流の会でうたわれた歌も、めずらしかった。詩人の大木惇夫の作詞になる歌らしい。
音楽がはいると、とたんに堅苦しい会がいきいきしてくるものだ。来年もぜひ授賞式には合唱曲を入れようと思う。
明けて二十三日、・・・」
この思いがけない五木先生との出会いから今日まで、長くお付き合いをさせて頂き、日本の合唱はどうあるべきか等、豊富な経験談からご指導頂いています。先生とのご縁で、当時「金沢カンマ―コア」と呼んでいた小アンサンブルの団体を、「金沢カペラ合唱団」と名づけて頂き、首都圏での演奏会に参加出来るまでの団体に成長させてもらいました。
当時ご存命だった関屋晋先生はこの事を大変喜ばれ、日本合唱界が日本の各分野から大きく理解され、発展していく事につながると話されていたことを思い出します。
山瀬 泰吾

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